甲信・関東巡検
朝6時に大学を出発し、山陽道〜中国道〜名神で名古屋を素通りして中央道の中津川ICで降りる。
国道19号で、北アルプス南端の御嶽山と、中央アルプスの駒ケ岳の間を抜ける中山道・木曽路を通って「寝覚の床」へ。
1日目 寝覚の床(長野県)見学
「寝覚の床」は水力発電のために木曽川の水位が下がって見えるようになった領家花崗岩(白亜紀後期)の方状節理の露頭である。
領家変成帯とは,中生代ジュラ紀にプレートの沈み込みに伴う付加体として,日本列島に付加された堆積岩類が,白亜紀の変成作用により高温低圧型の変成岩となった領家変成岩が分布する地域。
中央構造線の北川に沿って,長野県南部から九州まで帯状に分布し,中央構造線の南側に分布する三波川変成帯と対をなす。
寝覚の床で見られる領家花崗岩は,この領家変成帯に貫入した花崗閃緑岩であり,木曽川の激流が作った侵食地形である。
資料集に花崗岩および節理の代表例として掲載される有名な露頭である。
方状節理とあるが,花崗岩中の節理によって花崗岩がきっちり立方体になっている訳ではなく,方向によって節理の間隔が異なるため,実際の岩石は厚い板チョコみたいな形の集合体となっている。
玄武岩溶岩の場合は,冷却に伴う堆積の減少によって120°で節理が入り,六角柱状節理となることが多いが,花崗岩の場合は方状に割れることが多い。
雲の合間に見えるのが駒ケ岳なのかな?
寝覚の床は観光地化されていて、入場料(200円)が必要で、ちょっとへこむ。
しかも中央本線越しに見えていて、かなり下らないと見に行けなさそうな感じ。
ここからおもいっきり階段を下る。
頑張って河床まで降りてくると、ここが寝覚の床。
広島周辺で見られる領家花崗岩は、黒雲母に代わって白雲母が含まれることもあり、広島花崗岩に比べてかなり白色に感じるが、こちらの領家花崗岩は閃緑岩様であった。
寝覚の床を構成する領家花崗岩の接写。
ちなみに広島県の倉橋島南端にある領家花崗岩はこんな感じ。
花崗岩がきれいに四角に割れている。
対岸には甌穴(ポットホール)も見られ、かつては川の水位がもっと高かったことが伺える。
なぜここが寝覚の床と呼ばれるのかは、どうやら浦島太郎に由来するらしい。
竜宮城から戻った浦島太郎は、風景が変わり、知人もいなくなったため、旅に出ることにした。
旅の途中、木曽川の美しい風景に竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけると白煙が出て、おじいさんになってしまう。
浦島太郎は、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われた。
このことから、この地を「寝覚の床」と呼ぶようになったという。
そしてこれは「目覚めたとこ」である。
閃緑岩の採取(山梨県)見学
ここから糸魚川−静岡構造線を越え,ユーラシアプレートを脱出して、地研の巡検としては初の地質学的な東日本(北アメリカプレート)に突入。全然写真を撮ってなかった。
花崗閃緑岩は、中国地方にもあちこちに分布するが、まっとうな閃緑岩が分布する地域はなぜか、あまり見当たらない。
研究室にある閃緑岩のサンプルが長野県塩山(えんざん)市となっていたので、大菩薩峠の近くに分布する閃緑岩を採取するのが今回の目的。
場所的には先に見学した領家花崗岩の延長のようにも見えるが,塩山の閃緑岩体は,地質図naviによれば中新世の深成岩となっている。
富士山
富士山と夕陽、朝焼けの富士山の写真を楽しみに山中湖周辺に宿をとったにもかかわらず、
残念な空模様で、富士山を見ることはできませんでした。
2日目 長瀞(埼玉県)
長瀞も結晶片岩の聖地として、三波川変成岩の説明では必ず資料集に掲載されている場所である。
前日に見学した領家花崗岩の分布する領家帯と,中央構造線を挟んで対をなす三波川変成帯に分布する結晶片岩である。三波川変成帯に分布する三波川変成岩は,プレートの沈み込みによって付加された堆積や火山岩が,白亜紀後期に低温高圧で変成された結晶片岩である。
変成岩の元になった岩石の違いによって,黒色片岩(泥岩や砂岩など),緑色片岩(玄武岩など),紅簾片岩(チャート)のように見かけや,名称が異なる。
都心に近いためか、川下りの場所としてもかなり観光地化されており、駐車場から露頭までにはお土産屋が軒を連ねる。
お土産屋さんを抜けると,川に下る階段がある。
きれいな緑色の川面に,川下り用のボートが並ぶ。
上流からはラフティングの船が下ってくる。
泥質片岩と緑色片岩の互層のような岩相である。どちらかというと四国の緑色片岩の渓流の方が見た目にはきれい。